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ナスはイルカの野菜版――第一話 無職、ひきこもり


ナスはイルカの野菜版。誰かが確かに言っていた。ぼくも概ね同意する。ヘロドトスが1964年に出版した『プリンってどうやって作るの? 』で表明して以来、通説ではずっとそういうことになっている。

そういうわけで、ぼくはものすごくつらかった。だから、街を練り歩くことにしていた。ぼくにはそれしか、することがなかった。第1008代フランス国王の肛門に吸い付いたこともあったし、架空の果実を右目に移植した挙げ句、脱糞しながら超巨大アーチをくぐったこともあった。

だから、今はもう、それしかなかったんだ……

貧弱な頭を必死にひねらせて、慎重にこんな文章を編んでみる。これはひとつの予防線。何か意味ありげな気配だけはある。実際、意味が通りはする。だけど現実的ではあり得ない。ナンセンス。

こんなふうにすることで重症化を抑えられるなら、誰だって、こうするだろう。だけどみんなやらない。

もう、手遅れなんだ。

ぼくの名前はnull坊。いちおうそういう名前でやらせてもらってる。このおかしな名前も抵抗のひとつ。この前つけた自分の名前だ。ぼくはこの名前を別に気に入ってもいなければ、嫌ってもいない。そういうふうにする必要がある。

「ちょっとタカシー? あんたに届けものよー」

母親が勝手に引き戸を開けてぼくの部屋に入ってくる。

「おい! 勝手に部屋入ってくんなって言ってんだろうが! あとnull坊って呼べっつったよな、昨日」

「あんたまだそんなこと言ってんの? バカだねー。はい、封筒」

「チッ。はやく寄越せよクソバ……」

まずい。口が勝手に動く。どこかで聞いたことのある台詞、ありがちな光景。ぼくが言おうと決めたんじゃない。気づいたら口から出ていた。

何かナンセンスを、今すぐに――

「なによ、あんた」

「感謝いたします。謎の紙を受け取り、頭上に掲げて、そして、受けとります。行為をご査収ください。と、私はあえてそう申し上げます」

危ない。流されるところだった。特殊なウイルスはついには脳を犯し、自由意志はなくなる。常に気を付ける必要がある。

「あんた……。また変なこと言って……。たぶんこの封筒も、その関係のもんよ。案内だと思う、健康交流会(?)だかなんかの。グループセラピーみたいなやつよ。お母さんが資料請求しといたから」

この人はすでに重症化している。ぼくが再三注意したにもかかわらず、予防を怠ったからだ。親戚も、友人も、みんなぼくの警告を無視した。ぼくの見立てではこの街の95%はすでに重症化している。

そしてこの人はまた勝手なことをした。グループセラピーだ。実に母親的でおせっかいなふるまいだ。

ぼくも先ほど実にテンプレートな「反抗的な息子」を演じるところだった。ぼくですら、感染はしているということだろう。ここで母親に抗議すれば症状の進行を早めることになる。それだけは避けたい。だが、

「てめえ、ババア! なに勝手なことしてんだよ! おい! 」

と、言わざるを得なかった。こういう場ではそう言うことになっている。よくない兆候だ。

「はいはい、働きもしないでフラフラしてるあんたのためを思ってやってんのにねえ」

ババア、もとい、母親の台詞も完璧なテンプレートだ。ぼくたちは今、「反抗する息子」と「その母親」という役を演じ合っている。

背筋が凍る。

これ以上、病状を悪化させないよう、ぼくは適当にナンセンスなふるまいをしながら(具体的には、「オ~レ~オレオレオレ~芋アカン、芋アカン! 」と連呼しながら自分の足の裏を叩いた)、母親を部屋の外に追い出す。

受け取った白い封筒を部屋の真ん中に置く。

母親はぼくが精神を病んでいると思っている。確かに、みんなから見ればぼくは異常かもしれない。ただし、今回の件に関して言えば、間違っているのはぼくのほうじゃなく、みんなの方なのだ。それだけは確信している。

数か月前。

結婚をして子供が生まれたという幼馴染と、その配偶者が、挨拶をしたいとぼくの家にやってきた。昔から家庭どうしの付き合いがあったのだ。久しぶりに会うということでそれなりに楽しみにしていたのだが、凡庸に嬉しそうに赤子を抱く幼馴染は、ぼくの知っている人ではなくなっていた。どこかで聞いたことのある話し方、どこかで見たやり取り、表面的な形式と意味。ひとつも楽しくなかった。老人(ぼくの母親)が赤子の顔を撫でたり、抱いたりして赤子が泣きだす。老人・赤子・赤子の母親・赤子の父親――なぜだか笑っている。ただうるさいだけで何も面白くない。

ぼくはその光景を、ふすまを少しだけ開けて隣の部屋から覗き見ていた。心の底から不気味だった。

「あらかわいいでしゅねえ」「抱いてみますか」「あー泣いちゃった」「そりゃこんなおばあちゃん、いやよねえ」「そんなことないですよー」「わはははははは」

いかにもありがちな、何の捻りもないやり取りが、目の前で繰り広げられる。何が面白いのか分からない。

ふと、いたずら心が湧いた。

ぼくはふすまを開けて、客間に顔だけ出し、「あのー、赤ちゃんってサァ、テニスとトンボの歯の間に挟まってますよね、よく」と言ってみた。自分でも意味が分からない。

一瞬、空気が凍った。幼馴染も、その配偶者も、母親も、揃ってぼくの方を見る。笑い声も、相づちも、どこかに引っかかってうまく出てこない。ぎこちなく固まっている。

「な、何言ってんのあんた。ほら、お客様の前で変なこと言わないの! 」

母親が慌ててテンプレートに戻ろうとするまでの凍った数秒間が、妙に心地よかった。

幼馴染が帰ると母親は、どこかで見た「困った息子を持つ母親像」をなぞるようにふるまった。最初は、テンプレな言動を繰り返す幼馴染に感化されて、ドラマみたいに振舞ってみたくなったのかと思った。しかし、妙な雰囲気で、明らかに異常な感じがした。ありがちな振る舞いが、幼馴染から感染うつったのだ。つまり、テンプレートな言動は、接触することで、感染する。

であれば、ウイルスが原因であると考えるのが自然だろう。ぼくはこれをPVウイルスと名付けた。(この名称に特に理由はない。理由をつけてはいけない。)

それからぼくは注意深く人々を観察し、実験を続けた。親戚の集まり、コンビニのレジ、役所の窓口。ぼくが目にする人たちは、基本的にみんな感染していた。PVウイルスは瞬く間に街中に広まっていたのだ。いや、ぼくが気づく前から、すでに広まりきっていたのかもしれない。

以下は、数か月の独自研究により明らかになったことだ。この感染症には、症状に五つの段階がある。

研究成果

レベル1:既視感のある会話……決まり文句を言う頻度が上昇する。

レベル2:返答の自動化……相手の発言に対して最もありがちな返答が口をついて出てくる。

レベル3:過度な役割意識……どこかで見たことがあるありふれた役割を演じ始める。

レベル4:逸脱への敵意……社会的シチュエーションからズレた人間への嘲笑・排除。

レベル5:自律運行……「正しい形式・役割」に自己を乗っ取られる。自由意志がなくなる。

こんな感じだ。

5までくればもう、手遅れだ。そうなるまでに、「ワクチン」を接種する必要がある。便宜上「ワクチン」と呼ぶが、正確には進行を遅らせる治療薬みたいなものだ。

実験段階でぼくは、テンプレの会話に、わざと変な文を差し挟んでみた。たいていは、数秒だけ沈黙が生まれる。その沈黙のあいだだけ、ウイルスは弱体化する。ぼくが幼馴染と母親の前で、ヒト乳児、テニス、トンボの関連性について指摘したときに起こった現象と、まったく同じだった。

また同様に、意図や意味が理解できない行為や、シチュエーションからの「ズレ」が、ウイルスに有効に作用することが分かった。

これがワクチンだ。つまり、形式をもてあそび、ナンセンスな文章を紡ぎ、社会的シチュエーションにおける役割から逸脱するのだ。

ぼくはたぶん、レベル2。感染者と隣り合って暮らしているのだから、とうぜん感染してはいる。まだ3まではいってないと思いたい。ワクチンの効果だと思う。だがこれでどれほど耐えられるのか。それは分からない。だけど、とにかく今のところは、このワクチンで対処するしかない。

さながら、ゾンビウイルスが蔓延した世界で唯一、感染していない男だ。ありがちな言動を繰り返し、役割に固執する人々に対して、ナンセンスな言動でただ一人、対抗するのだ。ナンセンスで意味や役割と戦うのだ。

ふたたび、部屋の真ん中に置いた白い封筒に目をやる。中身を取り出して内容を確認してみる。

〈こころの健康交流会(グループワーク)のごあんない〉


「現代社会につかれた」「精神的に苦しい」というそこのあなた。さまざまな悩みを持つ仲間たちと話し合いませんか? どなたでもご参加自由! 


 於 中央体育館第3ホール

 日時 10月29日 15:30~17:00

 先着30名限定


※参加申し込みは同封の返信用はがき、またはメールにて。

※治療行為ではありません。(必要に応じて個別相談へ。)

グループワーク。ふむ、試しに行ってみるのもいいかもしれない。ぼくは最近、こういった社会的な場所には参加しないようにしている。重症化するリスクが大きすぎるからだ。

だが、重症感染者の生態を確認することも必要かもしれない。ある種の敵情視察だ。ぼくと同じような同志と会える可能性もある。

さっそく、メールの文面を作成する。当然、ここでも形式と内容をもてあそぶ必要がある。

件名:件名なしですけど(笑)(参加希望)

From:nullboh-nurunuru@email.cum

To:kokoro-anshin@pcn.me.gp

日付:10-22 23:17

はじめまして。null坊と申します。申し上げさせていただきます。

参加を希望します。ただし条件があります。私は4つの箱を持っておりません。代わりに、ナス(イルカの野菜版)を一つだけ、ただ、一つだけ持参します。持参不要なら逆持参します。逆ナスを。日時と場所に変更等があれば教えてください。以上、メールでした。

はい、以上です。あのー以上なんですけどー。

件名:Re:件名なしですけど(笑)(参加希望)

From:kokoro-anshin@pcn.me.gp

To:nullboh-nurunuru@email.cum

日付:10-23 10:12

null坊さま

このたびは「こころの健康交流会(グループワーク)」への参加申し込みありがとうございます。

お名前・ご年齢・ご職業・ご相談内容を、できる範囲でご記入ください。当日は中央体育館第3ホール、受付は15:15からです。終了時間は17:00を予定しております。

なお、食品の持ち込みはご遠慮ください。

安心してご参加ください。では、当日はお待ちしております。

かくして、ぼくはグループワークに赴くこととなった。念のためポケットにはナス(イルカの野菜版)を入れておく。特に意図はない。これが重要だ。意味のない行為が、予防策になる。

ぽよ原先生に励ましのお便りを送ろう! ! 

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Neetsha